2006.08.11金
関西空港発
 海外旅行は大学のときに中国に行った以来で2度目になる。十年以上ぶりである。しかも今回は一人。不安でいっぱい。

「あれっ!!モンゴル空港のカウンターがない!!」。旅行会社からもらった案内書を関空のサービスカウンターのお姉さんに見せて、教えてもらった。ものすごくわかりずらいところにあった。なんとかチェックインの手続きができた。

 日本円をドルに交換しないとモンゴルで買い物ができない。以前、中国にいったときはどうしたのか全く記憶にない。どうしようと思い、また、サービスカウンターのお姉さんに外貨交換所を教えてもらった。

有り難いことに、外貨交換所で、3万円をわたすと、担当者がアドバイスしてくれて、必要な小銭を振り分け、ドルにしてくれる。20ドル、10ドル、5ドル、1ドルと各お札があるが、どれを何枚あれば便利なのかなんて僕にはわからない。でも、外貨交換所では「これがいいですよ」と決めてくれるのだ。有り難い。行く前から「モンゴルでものを買うのに、しかもゲルで生活するのに、あまり大きいお金を持っていても、おつりがなくで飲み物とかが買えなくても困るし、逆に小銭ばかりもっていても、持ち歩くのにたいへんだ」と悩んでいたのだが、外貨交換所の人が決めてくれたので安心した。
 
 その後、搭乗口に行き、あとは目の前に見える飛行機に乗るだけの状態。

なのに、 11時関空発のハズが、11時近くで突然、「出発が2時間遅れる」とアナウンスがあった。理由は何もアナウンスがなかったが、小泉首相がモンゴルを訪問し、帰る便の飛行機とぶつかったようだ。
「勘弁してよ。2時間どうやって時間をつぶせばいいのだ。時間つぶして乗り損ねたらどうしよう。」

飛行機の座席につくまで不安だった。
機内食
 モンゴル航空だけあって、スチュアーデスはモンゴル人のようだった。(本人には確認していないが、間違ってはいないと思う)
 機内で、ミネラルウオータのペットボトル1本がサービスでスチュアーデスから配られた。貴重な飲料水。飲まずに大事にカバンにしまった。

  機内食が出た。「フィッシュ? ○x?」と英語できかれた。

覚え立てのモンゴル語で「ター サイ ヨー ゲスン ベー(今何と言った?)タヒャード ヘルノー(もう一度いってくれ)」と言いたかったが、
今まで一度もモンゴル人に話したことがない独学のモンゴル語、ここでデビューするには、「この静けさの機内では危険だ」と判断し、
「フィッシュ」と答えた。

後でわかったか、「○x」はビーフだった。

 機内食 は煮魚、巻き寿司、チーズケーキ、サラダ。

なかなか美味しかった。

 食後に飲み物をくばってくれた。お茶、ジュース、コヒーから選べた。
スチュワーデスとの会話はみんな英語だった。英語の必要性を実感した。
ウランバートル着
 着陸のとき、かなり飛行機が揺れて気分が悪くなった。

揺れている間は、モンゴル人の運転技術に不安を感じたが、無事着陸。ウランバードルについた。

 入国審査を通過したあと、腹の調子が悪いのに気づき、トイレに入った。

広いトイレに、小と大がそれぞれ1つづしかなく、大に5人並んでいた。
並んで待つ気にはなれなかったので、トイレから出た。

少し時間が経ってから、また、トイレに入って見たら、誰もいなかった。
「これはついてるぞ!!」

しかし、 トイレはつまっていた。しかも紙がない。

誰もいないのに納得しながら、自前のティッシュを使い、用を済ませた。
流せんかったけど、僕のせいでない。

 旅行会社の案内書には、「空港ロビーを出たところ、 現地の旅行会社の人が向かいに来ている」と書いてあったので、
そこでツアーのみんなと合流できると思いながら、緊張気味になった。

  出口を出ようとすると、「ジャスミンツアー・高部様」と大きくかかれた看板を頭の上に持って、出迎えてくれていた人がいた。

「えっ、なんで僕の名前だけがあんなにでっかく書かれてるの?他の旅行会社の看板はツアー名だけなのに。」

「もしかして俺だけ????」

出迎えの女性は旅行中の通訳で世話役のモンゴル人Hさんだった。

日本語が上手で、どんなことでも日本語で説明できる。
これなら、僕のモンゴル語の出番も少なそう。
感覚も日本人の女の子と変わらならず、気さくで性格のいい子だった。
旅行中、ほんとによく面倒を見てくれた。有り難う。

 通訳のHさんに確認したら、
なんとツアー参加者は僕だけとのことだった。

アルタンボラク着

空港から車に乗った。

車の運転手は私のためだけに、専任のモンゴル人Bさん。
元ラグビーの大八木に似た体格の人だった。職業がレスラーでも信じてしまいそうな立派な体格。
運転手なんてもったいない!!

ウランバートルは日本の都市に劣らないくらいの町並みだったが、車で郊外へ出ると、すぐ、のどかな草原の風景になった。

アルタンボラクまで車で移動。
移動中に、軍の訓練所を通り抜けようとすると、軍の兵隊に車を止められた。

(えっ、なんで拳銃をもった兵士がいるの?連行されるの?)

運転手とBさんが何やら兵士と会話をかわし、再出発できた。

通訳のHさんによると、「中国、ロシアと合同で訓練している最中だ」そうだ。

「(おい、おい、あぶねーじゃないの?なんでそんなとこ車で通るの??)」と不安になったが、特に訓練している様子は見られなかった。

目的地のアルタンボラクは世界地図上ではロシアとの国境に近い。

通訳のHさんに地図を見せ、確認すると、「そのアルタンボラクではありません!!ウランバートルの近くのアルタンボラクです。」と言われた。

どうも同じ名前のローカルの「アルタンボラク」があるらしい。

「何だ。世界地図にのらない無名の土地に行くのか?」と少しガッカリした。

しばらくすると、小さな小川を車でわたった。
元々道らしい道がなく、標識もない大草原。川を車で渡るのも当たり前のようだ。
通訳のHさんの話だと、
「適当に走っているわけではない。今までHさんがこの仕事をして、運転手が道を間違ったり、道に迷ったりしたことがない」と関心していた。

前に1台、同じような車が走っていた。

通訳のHさんが「前の車も、アルタンボラクに行きます。60歳の日本人おばあちゃんが旅行客です。同じように通訳一人がついています。最初の3日間は同じコースで、いっしょになります」との事。

日本の旅行会社が僕と違うが、モンゴル側の旅行会社が同じだそうだ。
どうせなら、いっしょの車にすればいいのに、日本人一人に対し、通訳と運転手、車1台つけて、「常識では考えられない。すごい贅沢な旅行だ」。

僕がお世話になった車